新刊はどんな話か/前作との違い

二回目にして早速更新を忘れてました。神西です。

新年は餅と栗きんとんが大量に出回るので最高ですね。

それとスプラトゥーン2のフェスにも混ざってきましたが、皆の頭装備から理性が失われていてこちらも最高でした。


さて第二回も『東京タワー・レストラン』についてのプロモーションついでの話です。

おそらく一月中はずっと新刊関連の更新になります。私自身のことなどは二月以降に話します。


前回、『東京タワー・レストラン』に至るまでを書きましたが、では『東京タワー・レストラン』ってどんな話なの?というところにまだ触れていないので、今回はそこをちゃんと紹介します。二週間たってようやく。


簡単に言うと、『東京タワー・レストラン』はSF系エンタメです。

青年・サジタリが目を覚ますと、そこはレストラン。巨体のコックが持ってきた皿には緑色のゼリーを潰したものが乗っており、とりあえず食べてみろと言われる。

という始まり方の話です。彼はわけも分からずコックと会話をしていると、徐々にそこが未来であること、そして自分の記憶が失われていることに気づいていく。さてどうすべきか、というのが冒頭ですね。

前回も書きましたが、話のスケールはレストラン内で完結しており、壮大なスターウォーズ的SFストーリーは展開されません。サジタリ青年は現代に帰ろうと焦ったりはしません。とりあえず落ち着ける居場所を作る方が大事だ、記憶は曇っているけどそのお陰で変に焦らなくて済んだし良かったかも、という考え方の男です。

かといって時をかける少女のような、少年少女が突如荒波に揺さぶられる青春SFというわけでもない。レストランというゆるやかな時の流れる空間で、未知の出会いをし、彼らに食事をふるまうことでひとつ何か見つけるような、そんな穏やかな物語を目指して執筆しました。

もちろん『東京タワー・レストラン』なりの、あるいは私なりの起承転結を設けて、謎やサプライズもひねってありますが、空間を蔑ろにしないように心がけた話です。


この速度感が前作との大きな違いかなと思ってます。

前作は視点が細かく切り替わる群像劇で、その影響もあり「疾風怒濤」というキャッチフレーズをつけて頂いてました。それはつまり客観的に「速い」と感じる作品だったわけで(私自身は自覚がなく、そうなっていたのは「書きたい流れに対してページ数が圧倒的に足りないのでそうやって切り詰めるしかなかった」だけだったのですが)キャッチフレーズがつくほどにその要素がピックアップされるのであれば、ああそれが私の作家としての第一の個性なのだろうと、そのように「めまぐるしい展開」について捉え、今後はそれを指針に書いていこうという考えを持っていました。

しかし二年近いスランプの中で、それが個性ではなく、単に「未熟故の荒削りの副産物が、たまたま上手く機能していただけ」だったことに気づいていきます。

私の作家性の根本は実際はそこにはなかった。そもそもはじめに新潮文庫さんに気に入ってもらった話は疾風怒濤な話ではなく、日常の中で少女がすこし型破りな交流をし、何かがひとつ前に進むだけの、穏やかなショートショートだった。

この過程でようやく正しい自覚に至ったわけです。

おだやかな日常に射し込む陽気なねじれ。それが自分が出せる精一杯の作家性で、そこを無事機能させられた作品が『東京タワー・レストラン』。堅苦しくなく、かるく読める作品に仕上がっているかと思います。是非お暇なときにでも頁をめくって下されば幸いです。


神西


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