坂東蛍子、兎に相談する
初作の翌日に書いた二本目。
「日本のテレビCMってさ、自分たちは善良ですってアピールに終始してるじゃない?そんなのどうでも良いってのにね。私たちが求めてるのはイノベーションだってば。それをやり通す気概をコマーシャルするべきよ」
兎のロレーヌは、人間と交流してはならないという“国際ぬいぐるみ条例”にいつも通り真摯に従っていたが、にも関わらず蛍子は何かを理解したように一人うんうんと頷いた。ロレーヌはたまに蛍子が、ロレーヌのことを意識を持った存在だと看破しているのではないかと焦ることがある。しかし実際は彼女が一人で言いように解釈しているだけだという幾つかの確信があったし、何よりロレーヌを女として扱っている時点で正体が暴かれていないことは明白であった。
日付も変わろうかという夜更けのひととき、坂東蛍子就寝前の出来事である。今夜も蛍子は大好きな兎のぬいぐるみロレーヌと、ベッドの上で寝る前の雑談を楽しんでいた。雑談の内容は基本的にどれもとりとめも無いものばかりである。蛍子がその日思ったことを日記代わりにロレーヌに話し、時折悩みや愚痴をこぼし、自己解釈により問題を解決し、満足してぐっすり眠るのだ。ロレーヌはたまに蛍子の勝手を煩わしく思うこともあったが、彼女の安らかな寝顔を見ているとそんな些細な不満はどうでも良くなってしまうのであった。
「ねぇ、聞いてるの!?」
ギクっとロレーヌはウールの毛を逆立てた。蛍子はたまにこういうアドリブをいれてロレーヌを動揺させる。
「そう、なら良いんだけど」
まったくロレーヌったら、と蛍子はため息混じりに話を続けた。
「それで理一君何て言ったと思う?『好きな人がいるんだ』よ!好きな人!好きな人めー!!」
坂東蛍子が顔を上げ、歯を食いしばりながらロレーヌ・ケルアイユ・ヴィスコンティ・ジュニアの耳をギリギリと締めあげた。ロレーヌは口をパクパクさせて悶絶した。
ここ数日、蛍子はずっとこんな調子なので、ロレーヌは医療保険への加入を考えはじめていた。理一という男に振られたのが余程ショックだったのだろう。それもそのはず、彼女は身内である贔屓目を抜きにしても美しい少女であったし、実際今まで自分から告白しなくとも男が寄ってくるような生活を続けてきたのだ。同時に彼女は自分から恋をしないまま成長してきた。松任谷理一は自分に振り向かなかった初めての相手であると同時に、初恋の相手でもあったのである。
「ていうか彼女いるならもっと早く周知させときなさいよね!そうすれば告白しなくて済んだのに!」
振られなくても済んだ、とポツリと続けたところで、蛍子は「ん?」と首を傾げた。
「でも、彼女がいるなら『好きな人がいる』って言い方変じゃない?普通は『彼女がいる』って言うような気がするんだけど」
ロレーヌもそこは疑問に思っていた。もしかしたら理一は自分や蛍子が思っているよりも複雑な事情を抱えているのかもしれない。人は他人のことを分かっているようでいて、実際は全然分かっていないものなのだ。蛍子がロレーヌの詳しい生い立ちを知らないように、ロレーヌだって蛍子の成り立ちを把握しているわけではない。どんなに親しい間柄でも、他人のことを自分と同じぐらいに語ることは出来ない。
「まぁ、問題はそこじゃないのよね。問題は・・・忘れようとしても全然忘れられないってこと」
理一君を見る度に湧き起こる、ドキドキとか、ハラハラとかしたりするこの気持ちを、どうやったって消せないってことよ、と蛍子はまた溜息をつく。
「ねぇ、ロレーヌ」と蛍子が言った。
「どうすれば理一君のこと忘れられるのかな?」
ロレーヌは暫く蛍子の悲しげな顔を黙って見上げていたが、覚悟を決めて体を横にコテンと倒した。坂東蛍子は少し驚いたが、ベッドの上でロレーヌがバランスを崩すことはしょっちゅうなので、やれやれ、とロレーヌを起こすために手を伸ばした。その時ロレーヌの長い耳が、両方綺麗に揃って倒れた方向に真っ直ぐ伸びていることに気付いた。坂東蛍子はそこに何らかの暗示的なイメージを感じとり、顔を上げる。方向の先には蛍子が毎日つけている“明日の予定表ボード”がかかっていた。そこには友人に借りていたCD、替えのコンタクト、数学のプリントなど、明日持っていくべきものが箇条書きされており、一番下に赤いペンで「忘れないこと!」と太く記されていた。蛍子はこのことに関して暫く考えているようだったが、やがてロレーヌの方を振り返りニッと笑った。
「そうよね、無理して忘れる必要なんて無いわよね。大事な想いだもの、大事にしなくちゃ」と蛍子は言った。
「ていうか忘れられないっつうの。恋してんだから」
蛍子は遠くを見るような目で暫くぼうっとした後、満足そうにベッドに潜り込んだ。
隣にはロレーヌも一緒だ。おやすみ、と電気スタンドの灯りを消そうとしたところで、坂東蛍子は「あ!」と何かを思いついたような声を出し、赤いペンを持って予定表ボードに何やら書き足した。
翌日、坂東蛍子の登校後、ロレーヌは予定表のいつもの赤字の上に「松任谷理一」という小さな丸い字を見つけ、ニヤリと笑った。
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