坂東蛍子、子供に脛を蹴られる
人生ではじめて読者に読んでもらうことを意識して書いたショートショートです。すこし手直し済み。
2014.1.31 著
「何か喋んなさいよ、もう!」
坂東蛍子は頭を抱えた。昼下がりの公園のベンチで、なぜか不満げな男児の隣で頭を抱える女子高校生の姿は、不思議と絵になる光景であった。もしこの場にカメラマンである蛍子の父がいたならすぐにカメラを構え、持ち前の親馬鹿ぶりを発揮したことだろう。しかしここに父はいない。勿論少年の父もいなかった。この公園には今、蛍子と少年の二人きりだった。
少年は依然として口を開く気は無いようで、赤い頬を膨らませ、蛍子の座っている方とは反対側の砂場やら、アスファルトやら、標識なんかを順々に睨んでいた。
こんな子供助けようとするんじゃなかった、と蛍子は思った。いや、この子供が助けを求めているのか、求めたい状況にあるのか、一言も言葉を交わしていない蛍子にはそういったことは一切分かっていなかった。ただ坂東蛍子は本日を「善行習慣」の初日と定めていたため人を助けたくてたまらなかったし、遠目で少年を見つけた時は、確かに彼が助けを求めているような表情をしているように見えたのである。蛍子は少年に歩み寄って行く最中こう思った。これが「飛んで火に入る夏の虫」というヤツね、と。
「もう、いいわ。私が勝手に話すから」
少年と関わってから少なくない時間が経過していた。今更途中で少年のことを放り投げて帰路につくわけにもいかないが、いい加減蛍子は暇を持て余していた。名を名乗る時はまず自分からって言うしね、とお得意の自己解釈による自己肯定のもと、彼女は気の強そうな口調で話し出す。
「私の名前は坂東蛍子。蛍子お姉ちゃんで良いわよ。才色兼備、秀外恵中、一族郎党全員才人。あ、難しかった?要は美少女ってことね」
坂東蛍子は鞄の中をガサゴソと弄り、目当ての水筒を取り出すと暖かいお茶で一服した。少年は頭上のクヌギの木の葉の数を一枚ずつ数え始めていた。
「ラブレター毎日平均五枚。家はお金持ちだし、勉強もとっても出来るし、部活はラクロスと陸上をかけもち。あ、バスケとテニスもたまにね」
この頃には蛍子は知らない子供相手なら好き勝手言い放題だということに気付き、語る言葉の中に七割増し程度の誇張表現を織り交ぜていた。テニスラケットは振ったことがあるが、バスケットボールは重さや表面のザラつきも想像出来ない。
少年はとある葉の裏に毛虫を見つけ、その動きを目で追うのに集中していた。
「あぁでも、今日の部活はサボっちゃった。・・・色々あってね」
聞いてないぞ、と少年は思った。実はこの時、少年の向こう隣りには人間の目には見えない空気体がベンチに腰を下ろしていた。善行の神である。善行の神は坂東蛍子を細目で見ながらあきれ顔でこう思った。「善行を積む前にまず部活に出なさい」。
坂東蛍子は突然静かになり、不自然に水筒の縁を指でなぞったりなどしていたが、二拍三拍とおいた後に訥々と話し始めた。
「気に食わない奴がいてね。ちょっと嫌がらせしちゃったのよ。始めはそんなつもりじゃなかったんだけど・・・放課後に一人で教室にいた時にね、ムシャクシャしたもんだから黒板にその子の悪口を箇条書きしてみることにしたの」
坂東蛍子はモジモジしている。善行の神は気まずそうに頭を掻きながら天へ帰って行った。
「肉ばっかり食べてそうとか、家で裸で過ごしてそうとか、あること無いこと適当に書き連ねてたんだけど・・・後半なんだか気分が乗って来ちゃって、なんていうのかな、“あること無いこと度”がちょっと度を超えちゃったというか」
ちなみにこのとき少年は、内心で笑いをこらえるのに必死だった。この女子高生に馬鹿と言ったら泣いちゃいそうだなぁ、と思った。
「で、気分が乗ってそのまま消し忘れて家に帰っちゃって、次の日クラスの皆の目に入っちゃったというか。まぁその後もちょっと色々あって・・・でも私にも色々あるのよ!?・・・色々あるの」
遠い目をして坂東蛍子は一人ごちた。少年はチラチラと蛍子の顔を見ていた。蛍子は助けを求めているような顔をしているように少年の目には映った。
「はぁ・・・まぁアレね、美少女にも悩みはあるのよ。美少女とか、悪い人間とか。というか、どんな悪いことしてる人だって皆本当は悪気は無いんだと思うのよね。悪いことだと思って無かったり、なんか色々すれ違ったりしてさ。それが悪いこととか悲しいことになるんじゃないのかな」
坂東蛍子は心の奥で、その少女に謝りたいなと感じていた。だからその分善いことをして取り返そうという発想に至ったのである。考え方はともかくとして、罪の意識は確かに両腕に抱えていた。
少年はずっと黙って蛍子の隣に座っていた。
暫くすると遠くで誰かを呼ぶ女性の声がした。少年の母親である。少年が立ちあがり母を呼び返すと、それに気付いた母親が心底安堵した表情で走り寄って来た。やっぱり迷子だったんじゃん、と蛍子は膨れた。
突然少年が振り返り、蛍子の顔を正面から見つめた。初めて目が合い、些か自信家の坂東蛍子も逡巡してしまった。三秒、四秒と何もないままゆっくりと時が過ぎ去った後、少年は軸足を少し曲げ、片足を引いた。少年の考えが読めず目を白黒させていた蛍子のその脛に、少年は蹴りを一発コツンとお見舞いしたのであった。
「いったーーーー!!!」
最後に坂東蛍子が見た少年は笑顔だった。清々しいニヤリ顔であった。母のもとへと走り去っていく少年の背を睨みながら、善行習慣は廃止してやる、と蛍子は善行の神に誓った。善行の神は天上でまたも頭を掻いた。
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